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Noël 代表吉田紀之コラム ~vol.5~

      2021/05/06

今回で5回目になりますが社内、社外から意外と反響もらってて嬉しいです。

 

前回は理容師から美容師へ転向の経緯を書きましたが、今回は初めて役職をもらってオープニングスタッフとして出店に携わった経緯を書きます。

 

記憶ではかなり前の話になりますが、当時勤めてた会社では確か4店舗目の出店で初の大型店舗。当時の美容室は昔でいうパーマ屋さんというイメージのまだ強い時代で広さは20坪程度カットする椅子が5~6あればまぁまぁの規模体ではなかったでしょうか?

 

その中70坪という大きさのサロンでセット面も15隻ほど合ったように思います。覚えてるのはスタッフルームがメチャ広く、研修部屋みたいなのもあってテンション上がった記憶があります。

 

今思えばすごくお金をかけた、社運をかけたサロンだったと思いますが当時24歳の自分にはそんなことは頭になく、とにかくワクワクした気持ちしかなかったように思います。

 

会社からも多額の広告宣伝費をかけてもらい1ヶ月に4~500名の新規のお客様が来てくれたように思います。当時はまだWEB集客なんてない時代でホットペッパーももちろんありません。

 

集客の手段は唯一チラシでした。

 

新聞広告にもたくさん入れてもらいましたが駅前でのハンティング、夜間のポスティングをしまくった記憶があります。美容師としての力はなかった自分でしたが当時24歳若さと体力はあったのでとにかく汗をかいて行動するということしかしてなかった記憶です。

 

おかげさまでたくさんのお客様に来ていただきあっという間に繁盛店になりました。

 

1ヶ月に1000名ほどお客様が来てもらえるサロンになりました。

 

お客様単価は今思えばすごく安かったと思いますが、とにかく毎日たくさんのお客様を担当し、今思えば失礼な話ですがたくさんのお客様を担当する中で自分の美容師としての力がついていきました。

 

見よう見まねのドライカットなどを当時してたように思います。笑

 

その当時1/3は自社のスタッフで2/3は中途採用のスタッフでした。自分の仕事はそこの人間関係をまとめ、一つのチームにすることでした。

 

幸い,いい人ばかりでとてもいいチームになった記憶と社外の美容師さんの技術に逆に憧れたくさん学ばせてもらったこの時期でした。

 

今思えば恥ずかしいですが社外の美容師の人の方がカットもうまく、洗練されてる気がしました。まだまだ都会の美容師に憧れてた時期でした。

 

cazicaziとかが流行ってて、そんな雑誌をたくさん読んで勉強してました。

CutieとかZipperとか。今の若い子は知らないですね 笑

 

こんな感じで楽しく毎日過ごしてましたが自分にとっては新しい挑戦と試練が与えられることになりました。

また新しくできるお店への店長としての移動でした。

 

つづく

 - Noël代表吉田紀之コラム, 吉田紀之