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Noël 代表吉田紀之コラム ~vol.6~

      2021/05/06

前回お話しした店舗がオープンして1年半ほど経った頃でしょうか?

また新しく計画されるお店への移動の話が出ました。

自分の中でNoという選択肢はなく全てYESだったのでもちろんお受けしました。

 

次の店舗は初めての堺市進出。新金岡のお店でした。

今は普通に中百舌鳥で商売してる自分ですが当時堺市に進出するということでえらい都会に行くんだなぁと思ってました 笑

そんな田舎者の自分でした。堺は自分にとってとても大きな街でした

 

それまでのサロンの屋号を変え、その時からAVANCEというブランドが生まれました。

ただ今までのエリアと違う位こともあり既存社員は自分と2名、3名ほどしかいませんでした。それ以外は全て中途採用。自分より年上の方もたくさんいてるまさに多種多様の人が集まったサロンでした。

 

今回も大型サロン、そのとき課せられたのは売上1000万円。

今も含めてですが、単店で1000万上がるお店はそうありません。

 

時代はまさにカリスマ美容師ブーム、キムタクのビューティフルライフに始まり、美容師が雑誌などでとても注目されファッション誌のほとんどはヘア特集でお客様は切り抜きを持ってくる方ばかりでした。

 

そのサロンも蓋をあけると溢れるくらいのお客様におこしいただけました。。

 

毎月4~500名のご新規のお客様にお越しいただき毎日大忙しでした。サロンは順調なのですが前途したようにほとんどが初めて顔を合わせて働くスタッフばかり、。価値観も違えば、技術のやり方、接客のスタンスなどほんとバラバラで、自分の力不足もあり全くまとまらないお店でした。

 

そこで出会ったのが今も仲良くしてるMahaeオーナーの矢野さんでした。彼との出会いが自分の価値観や美容師としての技術をたくさん影響を受けました。

 

年齢は年下ですが今も尊敬しお互い高めあえる存在です。

 

今美容業界をざわつかせてる中野くんとも当時の出会いでした。(当時は素直な可愛い後輩でした(笑))

 

 

矢野さんにもたくさん助けてもらいなんとかお店は順調に、当初の目標だった1000万円も達成し注目されるサロンになりました。

 

こうして自分のキャリアとともに今まで成し得なかった数字をあげたり、いろんなタイプの人と共に働けたのは大きな財産でした。たくさん衝突もしましたが、今思えば自分も若く、器が小さかったのだと反省しています。

 

今でも時々当時のスタッフと飲みに行くと自分ってめちゃくちゃやったなぁと思います。

 

そしてさらに2年も経たず、次の北花田店、つづく深井店へとオープニング店長として移動の続く日々が続きます。

 

この当時から20年近く経ちますが当時から今もNoelに通っていただけるお客様が私には多数いてます。

 

これが自分が経営者としてハサミを置かない理由の一つです。お客様と共に年齢を重ねていけること、これが美容師として最大の喜びで、またずっと現役でいられる唯一の手段でもあると思っています。

 

そして自分が独立前最後の店舗になる深井のお店でのお話になりますがここはまた濃いので次回にさせていただきます。

 

つづく

 - Noël代表吉田紀之コラム, 吉田紀之